今から半年と少し前のことです。
アマオケは打ち上げが本番だなんていう台詞には賛否両論ありますが、本番後のビールは美味しい。これは間違いないと思います。
※あくまで中の人Aの主観です。アルハラはダメ、ゼッタイ。
その日も、とあるオーケストラの本番を終えて、打ち上げ会場で楽しく笑いながらビールを飲んでいたはずなのですが。
気づいたら、私の目から大粒の涙が溢れて止まらなくなっていました。
そう、その日をもって、私の愛してやまないコンサートマスター(後の「中の人Y」)がそのオケを休団し、新しいコンサートマスターにバトンタッチするというのです。
それは、本番の少し前から、みんなに伝えられていたことで。
だけど私は心のどこかで受け入れられないまま当日を迎え、「もしかしたら今日が、共演できる最後の本番なのかもしれない」という思いを抱えて、本番中、いつもよりもじっとコンサートマスターを見つめながら演奏を終えました。
打ち上げあるあるの一つ「コンサートマスターからの挨拶」で、中の人Yは笑っていました。
私は、一緒に笑って送り出すことができませんでした。
あらかじめ用意していたプレゼントを手渡して。
その場で、年甲斐もなく泣いて、泣いて、たくさん泣いて。
大人になって、誰かのためにこんなに泣いたのは、おそらく初めてのことで、自分にとっても不思議なくらい。
私は、オーケストラをやる上で一番大事なのは「人」だと思っています。
大学のサークルでオケを始めてから、先輩にも、同期にも、後輩にも、たくさんの「推し」のヴァイオリン弾きと出会っては、別れを経験してきました。
演奏会が終わるといつも寂しい気持ちになりながら、それでも、そういうものだと。特段疑問に思うことはなく。
けれどもその日は3次会まで、中の人Yを含めた数人で一緒に過ごして、解散して、家に帰ってからもずっと、もやもやとした感情が残ったまま。
それから数週間が過ぎ、気づけば2022年最後の日。
私自身、当時の記憶が曖昧なのですが、気づけばこんなLINEを送っていました。
なんともまあ、一方的な決意表明。笑
そんな私の衝動的な、だけど心のどこかではずっと前から描いていた夢を、演奏会が終わって初めてのLINEかつ深夜に突然送りつける不審者のような振る舞いをしたのですが。
中の人Yは、私の想いを否定せず、「その日のために」と言ってくれて、また少し、涙が零れたのでした。
(つづく)